私は1976年に初めて海外旅行をしました。その国はドイツ(当時の西ドイツ)です。当時は1ドルが300円台の時代(日本では1971年まで1ドル=360円の固定相場制で、1973年から変動相場制に移行)で、輸入品は舶来品と呼ばれ、また、海外旅行は高嶺の花でした。旅行に行かせてくれた両親には今でも感謝しています。
ドイツでアマチュア無線の免許(JE1BQE/DL)を取得しました。今では珍しくなくなった日本人の海外からのアマチュア無線運用ですが、当時はまだとても珍しく、ドイツの新聞でも紹介されました。私も CQハムラジオ誌 1976年11月号 p.83~ p.86 に「ドイツ訪問・運用記」を執筆しました。
私はドイツ訪問前に、ドイツの局を探しては交信をしました。私の滞在地 Aschaffenburg (DOK B04)から比較的近い Seligenstadt (DOK F38)の DK9FN Sigi と交信し、ドイツに訪問する予定があると伝えましたところ、彼は快く現地で面会(Eyeball QSO)を快諾してくれました。右上の写真は CQハムラジオ誌で紹介した Sigi DK9FN)のシャック(無線室)からの私 JE1BQE/DL の運用風景です。Sigi は私と現地で会う時に、Holger (DF2FQ)、Bernhard (DF5FJ)にも声をかけてくださり、現地では楽しい Eyeball QSO をすることができました。また、現地のアマチュア無線クラブ DARC Ortsverband Seligenstadt F38(DK0RA)の定例ミーティングに私も参加することができました。
[訃報]DK9FN Sigi は 2024年12月3日に 73歳という若さで他界しました。彼が設計し販売していたアンテナは、私を含め世界中の多くのアマチュア無線家に使われていました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
Bernhard(DF5FJ)と Elke(DL1ZBT)の Thiem ご夫妻は、自分の3人の息子たちのミドルネームに、私、私の父、私の弟の名前をつけるほど、今でも私たちとは家族ぐるみのおつきあいをしています。Bernhard の家族は、長男の Andreas(DO1XAT)、次男の Christoph(DO5CT)、三男の Daniel(DO7DT)含め、家族が 5人ともアマチュア無線の免許を取得しています。
Bernhard は、ドイツの大企業で、マイクロコントローラの設計をしていましたが、私の会社(株式会社アンプレット / アンプレット通信研究所)のドイツでの仕事も手伝ってくれます。
北マリアナ諸島の中心的な島であるサイパン島は、小笠原諸島の南方(北緯15°15'、東経145°45')に位置し、世界で最も深いマリアナ海溝の近くに位置しています。アメリカ合衆国の自治領で、日本から最も近い英語圏です。
サイパン島はアメリカ合衆国の自治領なので、現地からアマチュア無線を楽しむには、アメリカ合衆国(FCC)のアマチュア無線の免許が必要ですが、現在、日本とアメリカ合衆国の間にはアマチュア無線の相互運用協定がありますので、日本のアマチュア無線の免許でもサイパン島(コールサインは KH0/日本のコールサイン)からの運用が可能です。
私は相互運用協定に基づき、KH0/JE1BQE のコールサインで運用しますが、JH1YTU Snoopy Club(現在の AMPLET Ham Club)のアマチュア無線仲間とサイパン島に行ったときには、メンバーの FCC 免許のコールサイン(KK6RT)に、サイパン島への移動運用を意味する「/KH0」を付加した KK6RT/KH0 のコールサインを、メンバー共通のコールサインとして運用しました。
カリフォルニア州は、アメリカ合衆国の州の中で最多の人口です。大都市としては人口の多い順にロサンゼルス(約390万人)、サンディエゴ(約140万人)、サンノゼ(約100万人)、サンフランシスコ(約87万人)と続きます。州都はサクラメント(約52万人)です。私は仕事で、これらの4都市を訪問する機会が多いです。
アメリカ合衆国での相互運用協定での運用を行う時は、事前の運用に関する免許申請や許可申請の必要はなく、コールサインは、アメリカの各州で割り当てられているプリフィックスに日本のコールサインを付加して運用することができます。カリフォルニア州のプリフィックスは W6 なので、私はカリフォルニア州からは、W6/JE1BQE のコールサインで、日本で免許を受けている 1kW の空中線電力で運用しています。
1990年代の初め頃から、韓国 通産部 中小企業振興公団の無線通信専門家となり、韓国の中小企業に無線関連技術の指導に行くようになりました。また、韓国が世界で初めてのCDMA携帯電話サービスを開始するということで、私も韓国の企業と一緒に CDMA携帯電話(IS-95)の開発をすることになりました。この頃は、韓国にいる時間が非常に多かったのですが、韓国において外国人がアマチュア無線の免許を得ることはできませんでした。
ウ・ジョンミョン教授(現 忠南国立大学)と私(現 日本大学)は、大学院博士課程の学生時代は同じ大学の同じ研究室で学位を頂きました。私の著書(東京電機大学出版局)は、ウ・ジョンミョン教授が韓国語に翻訳され、忠南国立大学出版局からも販売されています。